エルメス、ジャン・パトゥでの下積み
未来の妻・フランソワーズとの出会いと時を同じくしてラクロワは、フランスの大物ファッション報道官ジャン・ジャック・ピカールと出会いました。
そして後に彼らは、素晴らしいチームワークで仕事をしていきます。
大学を卒業したラクロワには、まだファッションにおける明確なビジョンがありませんでした。
そこで、ピカールは彼に仕事の世話をし、1978年に彼は老舗「エルメス社」のアクセサリー部門で働くことになりました。
ここでラクロワは、新米デザイナーとしてその腕を磨いていきます。
その後、メゾン「ギ・ローラン」に移り、1980年代初めにはなんと、日本の皇室とコラボレーションを発表しました。
ファッションデザインの分野で徐々にその卓越したセンスが知られるようになり、1981年、彼は老舗メゾン「ジャン・パトゥ」で、チーフデザイナーに就任しました。
「ジャン・パトゥ」は日本ではあまり知られていないと思いますが、1919年に創設された老舗中の老舗で、フランスのモードをリードしてきたメゾンです。
プレタポルテも手がけていましたが、ラクロワが任されたのは、オートクチュール部門です。
この仕事は、彼にとって非常にやりがいがあるもので、後の「クリスチャン・ラクロワ」のクチュールデザインの前身とも呼べる美しい作品を次々に生み出しました。
この頃のラクロワは、順風満帆であったことでしょう。