ジャン・ジャック・ピカール(Jean Jacques Picart)

学生のクリスチャン・ラクロワと出会い、彼のアーティスティックな感性を生かす場所を提供したジャン・ジャック・ピカール。

彼は、クリスチャン・ラクロワの才能を開花させた最も重要な人物であり、長年ラクロワとは良き友人関係にあります。

将来、美術館の学芸員になるつもりでいたラクロワをファッションの世界に導いたのは、妻のフランソワーズだと言われていますが、実際にそれを実現したのはファッション界で力を持つプレス、ピカールです。

ピカールは彼にエルメスの職を紹介しただけでなくベルナール・アルノーと共に、クチュールメゾン「クリスチャン・ラクロワ」の設立に携わり、1987~1999年まで「クリスチャン・ラクロワ」の共同経営者という立場で、ラクロワと共に仕事をしました。

1970年代にファッションやラクジュアリーを扱うプレスのオフィスを設立した彼は、当時ラクロワが働いていたエルメスだけでなく、テュエリー・ミュグレー、資生堂、ウンガロ、ケンゾー、クロエなど、多くのハイブランドの広告や宣伝活動に携わりました。

ファッションデザインは決して携わらないのですが、彼は80年代には既にフランス国内で「ファッションの重鎮」になっていた存在です。

1999年からは、ファッション関連の会社のコンサルティングをする会社を設立し、ファッション界の後継者のサポートを積極的に行っています。

そして、今でもラクロワにとって、一番の良き理解者です。

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