メゾン「クリスチャン・ラクロワ」の創設

ジャン・パトゥで本格的にクチュリエとしてデビューしたクリスチャン・ラクロワは、プレタポルテ主流の時代にオートクチュールで勝負し、センセーションを巻き起こしました。

パトゥでの仕事は高く評価され、1986年に「デドール(金の指ぬき)賞」を受賞。

そして翌年1987年には、運命的な出会いが待っていました。

大物実業家、ベルナール・アルノーにその才能を惚れこまれたのです。

アルノーは不動産業などで成功した実績を持ち、徐々に頭角を現してきていました。

ラクロワと出会った当時は、クリスチャン・ディオールを傘下に収める「フィナンシェル・アガシュ」のCEOを務めていました。

アルノーは後に世界最大のラグジュアリーブランドのコングロマリット「LVMH」のCEOに就任しますが、彼が傘下におさめた企業の殆どが、「ディオール」や「ジバンシィ」などの歴史のあるブランドです。

それは、フランス文化の伝統にビジネスの可能性を見出していたからです。

そういう意味で、ラクロワのようなオートクチュールの新参者に出資したのは、意外な感じがあったかもしれません。

しかし、アルノーは、ラクロワのスケッチにひと目で惚れ込み、ラクロワの名を冠したオートクチュールブランド「クリスチャン・ラクロワ」の創設を決心したのです。

こうして、ラクロワは1987年に、パトゥを去ると同時に自身のメゾン「クリスチャン・ラクロワ」を設立しました。

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