ジャン・パトゥ(Jean Patou)
若きクリスチャン・ラクロワがクチュリエとして本格的に修行をし、注目されたのが、「ジャン・パトゥ」のメゾンです。
創設者のジャン・パトゥ氏は1930年代には既に亡くなっていますが、現在にまでその名が継承される、フランスでは非常に有名なメゾンです。
1888年に仏ノルマンディー地方で生まれたパトゥは、1910年、クチュリエになるためにパリに渡ります。
その後、1912年に小さな婦人服のお店を開き、短いスカート丈のドレスに代表される「フラッパールック」や女性のスポーツウェアラインで一世を風靡します。
第一次対戦でビジネスを中断した後、1925年にクチュールのメゾンを設立。
彼がこの世を去る頃まで、主に香水部門で世界的に人気を博しました。
パトゥの死後、彼の姉妹の夫婦がビジネスを引き継ぎ、オートクチュール部門は、カール・ラガーフェルドやジャン・ポール・ゴルチェによって受け継がれてきました。
1981年にラクロワがオートクチュールのデザイナーに就任し、それ以降、ラクロワによる「ジャン・パトゥ」はクチュール部門で脚光を浴びます。
この時、ラクロワは駆け出しのクチュリエでしたが、パトゥのメゾンでいきなりセンセーションを巻き起こしたのです。
ラクロワにとって、自分の名が知れ渡るきっかけとなったパトゥのメゾン。
ここは、彼の原点と呼ぶことができるでしょう。